京都フィナンシャルグループ(5844) +7400円
ハングリー・ハングリー②
たまたま、父親が不動産業で自営業者として、街の不動産屋さんをやっていたことで、ちゃんとバブル崩壊に巻き込まれました。
父親の先輩・仲間は、倒産や再起不能レベルになった人達であふれ、中には首を吊った人もいて、誰も助けてくれない、救いのない状況だったそうです。
父親はというと、銀行から貸し剥がしにあいましたが、なんとか資金を身内から借りて返済し、損切りを早い段階で決断して、仕入れて売ろうとしていた不動産をさばききって生き残りました。
ただ、身内から借りたお金を返す必要がでてきて、バブル崩壊後の不動産業だけでは生きていけないので、建設業の日雇いや、配送などの仕事で日銭を稼ぎ、凌ぐような日々を過ごしました。
そんな、バブル崩壊後の世界で必死に生きる父親の元で幼少期を過ごしましたから、私は、かなりの貧乏を経験しました。
子供の私はというと、とにかく「欲しいと思っても、手に入らない」のです。
同級生の子供達が買ってもらっても、私は買ってもらえません。
同級生の子供達は新品ですが、私はボロボロのおさがりです。
友達の家で一緒にゲームをするのではなく、ずっと友達がゲームをするのを見ていて、友達が「ちょっとやる?」と言ってくれたタイミングで、ちょっとだけやらしてもらえるのを楽しみに友達がゲームをするところを隣でずっと耐えていました。
自分から「ちょっとやらせて欲しい」と言うと、友達はゲームができる時間が少なくなるので「一人でやった方がいい」と友達が思った時点で、私は友達のおこぼれでやれているゲームがまったくできなくなります。
友達が一人でやるより、一緒にやった方が面白いと思ってくれないと、私は何もできないのです。
なので、「ちょっとやる?」と聞いてくれるのを待ち、友達がやっているところを見て「必死で覚えて」少ししかやらせてもらえない「チャンス」に最大限、自分のやりたかったことをやりました。
また、すぐに友達にコントローラーを返すので、やれた時の感覚を忘れないうちに、脳内でシミュレーションしたりしました。
「楽しい」より、ずっと「悔しい」が勝っていました。
友達と遊ぶたびに「悔しい」のですが、どうせ家で一人で遊んでても、思い出して「悔しい」ので、せめて「少しゲームさせてもらえる」という「楽しみ」のために、友達と遊ぶのです。
書けば、もっとあります。
ずっと「悔しい」んです。
こうやって「ハングリー精神」が鍛えられました。