駅の改札とカップルの心理。
どうも、今日は自分の思ったことを記そうと思う。
改札を表現したラブソングいっぱいあると思う。
改札を通る恋人。
つまりは別れの時な訳です。
だから、改札まできて別れを惜しむカップルがいっぱいいる。
おでこをつけて愛おしそうに手をつないだり、激しいカップルはディープキスをしちゃってる。
最後に一緒にいれる時間を惜しんでいる。
頭を撫でて、抱きしめあって、お互いの存在を必要としてるって、本当にわかる。
で、今日思ったのは寂しいなと思った。
俺も彼女も、二人の時間を大切にするタイプなので、実際別れ際はもっと一緒に居たくて、離れようとしなかった。
今は、お互い一緒に居たくても仕事の時間を守るために、朝おきて流れ作業でバイバイしたり、帰り際は頭は次の方向を向いている。
つまりは明日の仕事を考えちゃってるし、つまりは目の前の彼女に集中できてない。
一言でいうと、さみしい。
そうなってしまってる現実が、お互いの存在が愛おしくなくなったんじゃない。
仕事に追われて余裕がないだけ。
特に今は、彼女も自分も仕事に追われて余裕がない。
もっと彼女といる時間を大切にしたい。
だからこそ、今はイロイロ我慢しているけど、違う気もしてる。
俺ってこのままでいいの?
今の楽しみ方って?
きっと無い物ねだり。
理解できてるけど、やっぱり違う。
一刻も早く彼女と楽しんで生きていける仕組みづくりを。
一緒に何かしたくて、一緒ならすごいことができる。
そう思えるのは彼女だけ。
別れ際、別れを惜しむ時間もないなんて間違ってる。
お互いを大切にするために、彼女にわがままを言わせてあげられるように。
俺はやっぱり頑張るしかない。
でも、頑張る方向は間違わない。
できるだけ自分がサボるために知恵を生かす。
周りを使う。
自分の力は所詮1。
周りをどれだけ巻き込めるかで、自分の価値が決まる。
なんとしても楽しく生きるために、俺は無茶苦茶してやる!
投資はほったらかし。
会社は、ただの学校。
一番集中すべきは、自分のビジネス。
それができなきゃ、俺が俺である意味も、俺が生きている意味も、生きがいも何もかも自分で否定してしまう。
会社に務めて一年。
大学卒業後、自分ビジネスをするも、孤独で親からと彼女からのプレッシャーで就職に逃げてしまった自分。
一年時間が経って、俺は成長できた?
答えはイエス。
でも、その成長は野球選手になる為にサッカーの練習を必死にやったようなもの。
サラリーマンは、何年続けても所詮サラリーマン。
使われる側の1年選手が出来上がっただけ。
無駄ではないが、完全に遠回りだ。
さっきの例でいえば、野球選手に必要な体力をサッカーで身につけたようなもの。
ダメだ。
楽をしちゃダメだ。
今の自分のみちの先に求めてる自分はいない。
チェンジ。
求める自分になる為に。
残り3年。
自分の生き方を実現できるかどうか、チャレンジは面白い。
一年振り返った自分は、会社員としては、想像以上の人物になれたが、企業家としては大学時代の自分に負ける。
次の一年でどこまでビジネスを実現できるかどうか、試される一年になりそうだ。