2011/05/29 23:20

駅の改札とカップルの心理。

どうも、今日は自分の思ったことを記そうと思う。

改札を表現したラブソングいっぱいあると思う。

改札を通る恋人。

つまりは別れの時な訳です。

だから、改札まできて別れを惜しむカップルがいっぱいいる。

おでこをつけて愛おしそうに手をつないだり、激しいカップルはディープキスをしちゃってる。

最後に一緒にいれる時間を惜しんでいる。

頭を撫でて、抱きしめあって、お互いの存在を必要としてるって、本当にわかる。

で、今日思ったのは寂しいなと思った。

俺も彼女も、二人の時間を大切にするタイプなので、実際別れ際はもっと一緒に居たくて、離れようとしなかった。

今は、お互い一緒に居たくても仕事の時間を守るために、朝おきて流れ作業でバイバイしたり、帰り際は頭は次の方向を向いている。

つまりは明日の仕事を考えちゃってるし、つまりは目の前の彼女に集中できてない。

一言でいうと、さみしい。

そうなってしまってる現実が、お互いの存在が愛おしくなくなったんじゃない。

仕事に追われて余裕がないだけ。

特に今は、彼女も自分も仕事に追われて余裕がない。

もっと彼女といる時間を大切にしたい。

だからこそ、今はイロイロ我慢しているけど、違う気もしてる。

俺ってこのままでいいの?

今の楽しみ方って?

きっと無い物ねだり。

理解できてるけど、やっぱり違う。

一刻も早く彼女と楽しんで生きていける仕組みづくりを。

一緒に何かしたくて、一緒ならすごいことができる。

そう思えるのは彼女だけ。

別れ際、別れを惜しむ時間もないなんて間違ってる。

お互いを大切にするために、彼女にわがままを言わせてあげられるように。

俺はやっぱり頑張るしかない。

でも、頑張る方向は間違わない。

できるだけ自分がサボるために知恵を生かす。

周りを使う。

自分の力は所詮1。

周りをどれだけ巻き込めるかで、自分の価値が決まる。

なんとしても楽しく生きるために、俺は無茶苦茶してやる!

投資はほったらかし。

会社は、ただの学校。

一番集中すべきは、自分のビジネス。

それができなきゃ、俺が俺である意味も、俺が生きている意味も、生きがいも何もかも自分で否定してしまう。

会社に務めて一年。

大学卒業後、自分ビジネスをするも、孤独で親からと彼女からのプレッシャーで就職に逃げてしまった自分。

一年時間が経って、俺は成長できた?

答えはイエス。

でも、その成長は野球選手になる為にサッカーの練習を必死にやったようなもの。

サラリーマンは、何年続けても所詮サラリーマン。

使われる側の1年選手が出来上がっただけ。

無駄ではないが、完全に遠回りだ。

さっきの例でいえば、野球選手に必要な体力をサッカーで身につけたようなもの。

ダメだ。

楽をしちゃダメだ。

今の自分のみちの先に求めてる自分はいない。

チェンジ。

求める自分になる為に。

残り3年。

自分の生き方を実現できるかどうか、チャレンジは面白い。

一年振り返った自分は、会社員としては、想像以上の人物になれたが、企業家としては大学時代の自分に負ける。

次の一年でどこまでビジネスを実現できるかどうか、試される一年になりそうだ。

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